正式な祭礼名は「祇園社神幸祭」

 松江市島根町野波の日御碕神社ひのみさきじんじゃでは、毎年10月23日に秋の例祭「ガッチ祭り」が開催されます。ガッチ祭りは、正式には「祇園社神幸祭ぎおんしゃしんこうさい」という祭礼名のお祭りで、かつて野波の権現山ごんげさんに鎮座されていた日吉神社ひよしじんじゃの神様が、明治42年(1909年)に現在の日御碕神社に合祀されたのを機に、年に1度元の地へ里帰りされるお祭りです。その里帰りの道を清めるのが、神様の使いである「ガッチ」です。

 

日御碕神社(島根町野波)

日吉神社と「祇園社」

 日吉神社は野波東の氏神様で、祭礼名にある「祇園社」とも呼ばれ、氏子からは親しみを込めて「祇園さん」と呼ばれていました。祭神は須佐之男命すさのおのみこと大己貴尊おおなむちのみこと(大国主命)。毎年7月15日には「潮かけの神事」といって、参道から真下の海に下りて宮(神輿)を練る行事があったそうです。

 なぜ「祇園社」と呼ばれていたのかは資料がないためはっきりしたことはわかりません。かつて全国には数多くの祇園社がありました。祇園社の総本社である京都の八坂神社も、昔は祇園社という社名でしたが、明治元年(1868年)に政府が発布した「神仏分離令しんぶつぶんりれい」を機に今の名前に改称されています。

 祇園社の祇園信仰は、牛頭天王ごずてんのうを祭神とする、神道と仏教が融合した神仏習合しんぶつしゅうごうの信仰です。神仏分離令は、その神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院を明確に区別させて、神道の国教化を推進した政策でした。また、この布告は、神社の祭神名や社名に「牛頭天王」や「祇園」のような仏教語を使用することも禁止しました。日吉神社も元々は祇園社という名前で、この布告に従って神社から仏教的な要素を排除したうえで、「日吉神社」に改称されたのではないかと考えられます。神社が鎮座されていた権現山の「権現」も仏教用語になりますので、神仏習合の色が濃い神社であったことが伺えます。

牛頭天王は、釈迦しゃかが説法を行った仏教の聖地、祇園精舎ぎおんしょうじゃの守護神であり、薬師如来やくしにょらいの化身とされ、神道のスサノオ神とも同体とされた。御神徳は悪疫退散・水難鎮護など。神仏分離令の発布後、牛頭天王を祀っていた神社の祭神は、素戔嗚尊すさのおのみこと(須佐之男命)に代えられた。

なぜ、合祀されることになったのか

 coming soon
 

神様の里帰りとその通り道を清めるガッチ

ガッチは白装束に赤い布切れで顔を覆った異様な出立ち(近年は鬼の面を被るガッチが多い)で、「へー、へー」と奇声をあげながら、わらで編んだ「シボ」と呼ばれるしめ縄で人々を叩き、地区内を清めてわまります。「シボ」で叩かれたり、獅子頭のガッチに頭を噛んでもらったりすると無病息災になると言われていますが、叩かれて痛いことと、その異様な出立が相俟って、子供達は一日中逃げ回ります。